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2013年4月 3日
ありがとうフレディ
昨日悲しいニュースが入って来た。「フレディが亡くなった」と言うものだった
フレディとは1994年のオーストラリア留学からオーストラリアの国内線やマレーシアの国内線、ニュージーランドのWRCなどに一緒に出た。
彼はキャンベラに住んでいていつもキャンベララリーの時は彼の自宅にメカニックと共に泊めてもらっていた。毎日夜遅くまでラリーの話と古いビデオを見たり本当にラリーが好きなのがわかった。キャンベララリーで思い出すのが当時お金も無かったのでラリーにメカニック1名(メカニックが出来ない人)と自分とフレディだけでエントリーしたことがある。サービスに入ると僕が車の下に潜り増し締めや点検している時にフレディがタイヤ交換、メカニックが給油&エンジンルームの点検をしていたのを思い出す。
フレディはすでにオーストラリアのトップナビで篠塚さんとワークスチームでもあったのだが本当によくしてもらった。その当時はあまり英語も話せなかったので良くわからなかったがトップナビがサービスでタイヤ交換をしているのを見て絶対に「フレディなにやってるの!!」とオーストラリアの仲間から言われていたに違いなかっただろう。
ラリーの成績はボロボロの時代、走ればぶつかる、SSベスト、転倒、落ちるを積み重ねた時期で今では考えられないが「根性とアクセルの踏み」で何とかなると思っていた(今は全く逆の事をスクールでやってます(笑))
リタイヤしてもリタイヤしても「トップドライバーは初めよくクラッシュするものだ。クラッシュが怖くなったりクラッシュする事へのプレッシャーでスピードが落ちるドライバーは伸びない」といつも慰めてくれた。
おかげで成績は微妙(完走が少ない)だったが一発屋的な事でプロトンのドライバーに
なる事が出来た。
最近は毎年アジパシのオーストラリアでちょくちょく会っていた。
面白かったのが25年位まえのレーシングスーツを着ていたことだ。自分が「これ、めちゃめちゃ古いじゃん」と言うと笑いながら「これが一番着心地が良い」と言っていた。
来ていたのは篠塚さんと組んでいた時のクリーム色?白だった??に胸に赤のラインが入ったレーシングスーツ、確かに最近のレーシングスーツは耐火なので分厚いがその当時は作業着程度だったので着やすいのは着やすかったのだろう。
もしかしたら着やすさ以外に思い入れもあったのかも知れない。
自分が生まれる前からラリーをやってまさに「レジェンド」の言葉が相応しい程ラリーが好きで生涯続けてきたフレディに「お疲れ様」と言いたい。
いろいろとありがとう、お疲れ様でした!
http://www.rallysportmag.com.au/home/index.php?option=com_content&task=view&id=7558&Itemid=2
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